夏焼雅と遠近法

「遠近法」と聞いてどんな事を思い出しますか?今、私は、Buono!の「消失点-Vanishing Point-」*1を思い出します。(以下、評論っぽくするため、敬称略とします。)

「抱きしめて抱きしめて」の新曲イベントの時のことです。私、なんと最前列を当ててしまい、それはそれは夢のような時間を過ごしました。最前列ともなるとステージとの距離が近く、前列のメンバーと奧のメンバーの距離差が際立ち、非常に強く「遠近感」*2を感じます。しかも、1曲目が全員縦に並ぶ*3「スッペシャル・ジェネレーション」だったのです。そして1番前にいたのは誰あろう、夏焼雅でした。いやぁ、きれいだったなぁ…。それはともかく、遠近感(パースペクティブ)が強く印象に残りました。

Buono!のアルバム「Buono!2」には、「3人それぞれを“フィーチャーした”曲」があります。夏焼雅の曲は「消失点-Vanishing Point-」でした。
「消失点-Vanishing Point-」の歌詞の内容は、友達関係で恋人にまでは近づけない微妙な距離の二人、平行線を歩いているような二人は、いつか交差することが、恋人に発展することがあるのだろうか?という、とても切ない歌です。一人称が「僕」となっていますから、おそらく男子からの目線です。*4
さて、ここで素朴な疑問を感じました。この曲のタイトル、どうして「交差点」とか「クロス・ポイント」じゃなくて、「消失点」なんだろう?「消失」*5ってことは何もなくなっちゃうんじゃないのかなぁ?と。その疑問はネット検索ですぐに氷解しました。「消失点(vanishing point)」とは、「遠近法において並行線が交わる点(wikipedia)」という専門用語で、「vanishing point」の直訳の言葉のようです。ついでに、「交差点」だと交通用語になっちゃいますし、遠近法の用語である事を示すために「-Vanishing Point-」とついているわけですね。


立体を描写する場合の消失点。2カ所の場合。(↑が消失点。)


消失点が3カ所の場合。


この「消失点」、美術、マンガ、建築パース図、写真などに携わっている方にとってはおなじみの用語で、今さら説明するまでもないような事なんでしょうね。でも私、かなり感動しました。なぜって「二人の道が交わる点」、それは普通「新しく何かが生まれ出て来る点」だと思うのですけど、あえて逆説的に「消失」という「何もなくなる」という意味の言葉が使われているのです。あるいは、友達から恋人に踏み出そうとすると、全てを無くす「消失点になる」場合もある、という暗示なのかもしれません。違う解釈では、「友達としての平行線がなくなる」わけであって、何かが消失した後でこそ何かが生まれる、って言いたいのかもしれません。また、遠くで交わって見えるように見えるけれど、実は平行線で交わることがない…そんな哀しい比喩でもあるでしょう。いずれにしても、曲のタイトルにこの言葉を使っただけでも見事で、感動しました。さすがです。川上夏季先生。


実際の曲を聴いてみると、やはりソロ曲ではなく、それぞれ重要なパートを任されていることがわかります。嗣永桃子は「たぶん二人の距離は近くて だけどどこまでいっても ずっと平行線で」と、二人の状況、この曲のストーリーの柱を歌っているし、鈴木愛理も「繰り返してく季節の中で 甘えてたと気付いても きっと遅すぎて」と、2番の聴かせどころです。そして夏焼雅はというと、この曲一番の難所、転調の部分を担当しています。これは、音程がしっかりしている事もさることながら*6、何より感情表現が豊かであることから、彼女が任されたのだと思います。


高音部の話です。普通、曲の一番の聴かせどころは最高音部という場合が多いと思います。最も盛り上がり、最も感情を込めて、最も強く歌う部分でもあります。さて「消失点-Vanishing Point-」の最高音は、誰が歌う、どこの部分だと思います?
最初に夏焼雅が裏声になる「運命は変わっていたのかな」の「うんめい」の「い」がC#で最高です。同じ高さのところはいくつもあって、2番の同じ部分はコーラスで「どうすればいいかわからないよ」の「れ」。そしてもう一つ、また夏焼雅パート、転調部分の最後、「思い出すような僕ならいらない」の「ない」です。あとは最後にリフレインで「運命」が2回ありますが、いずれもコーラスです。つまり、ソロで最高音を任されているのは、実は夏焼雅だけなのです。このへんが「夏焼雅をフィーチャーした」ということなのでしょう。


それにしても素敵な詞です。「遙かに遠く続く明日のどこかで いつか重なる場所があると信じてた」この「重なる」*7っていう部分こそ、まさに遠近法の「消失点」を表しています。それに続く「そんなに無防備な顔をされたら僕は どうすればいいかわからないよ」に至っては、もう絶句。無防備でいるほど近い関係だからこそ、一歩を踏み出して、抱きしめることができない、ふざけあうことしかできない、そんな二人なんですね。そして、そんな僕らは変わらない、そう思っていたけど、ある日、自分の本当の気持ちに気がついてしまう。一体、何がきっかけで、どんなふうに気がついたのか、それは語られていませんが、それを想像することは聴き手の楽しみの一つなんでしょうね。


話は「遠近法」からすっかり離れてしまいましたが、いろんな曲で歌われている言葉で締めることにします。それは「遠くて近きは男女の仲」。「消失点-Vanishing Point-」を聴きながらこの言葉を考えてみると、実に含蓄に富んだ言葉であることが、あらためてわかります。今夜は、あと何回か「消失点-Vanishing Point-」を聴いて、夏焼雅の声とともに、甘くて苦い思い出とともに、この言葉をかみしめようと思います。

*1:先日のライヴでは歌いませんでした。聴きたかったんです。それで、夏ちゅの誕生日の翌日ということで、これを書くことにしました。

*2:♪あ〜 いつだって遠近したいのよ〜♪w…違…w

*3:2番目の熊井ちゃんが「遠近法無視」っぽいのは置いといて…w

*4:余談ですが、同じアルバムの「You're My Friend」は女の子目線で同じような状況を歌っていて、もしかしてアンサーソングかもしれません。この2曲に描かれている二人は、実は二人とも、密かに同じような事を考えているのかもしれません。…これ実はどこかのブログの受け売りですw

*5:余談ですが、今年は15年に一度の「土星環の消失」があります。土星の輪が、消えてなくなるわけではなく、真横から見る事になるので見えなくなるのです。一見、消失したように見えても実は…って事、あるかもしれない…。ちなみに土星の輪の消失の場合、英語では disappear と書いたサイトが多いですが、 vanishing もありました。

*6:実際、Berryz工房の曲では転調などの難しいパートを当てられるのは夏焼雅が多いです。

*7:「交わる」にすると違う意味も入ってきてしまいますねw