「関ヶ原」の望遠鏡

先日、映画「関ヶ原」を見て来ました。時代物の映画って、けっこう好きなんです。天文マニア的には、1カ所くらいはツッコミどころがあり、ちょっと意地悪な楽しみだったりします。


例えば「花戦さ」では、主人公が夜遅くまで勝負となる作品を作る場面があり、山場なのですが、この時におそらく「夜遅く」を表現したかったはずの月が、満月前で上ったばかりの形…つまり夕方暗くなったばかり(としか天文マニアには見えない)…でした。これ、映像のクオリティが上がって、月が、実写の映像を使えるようになったためでもあるんですけどね。月の模様がたいへん良く写っているので、間違ったのがバレバレ。30年前のテレビドラマの月なんて、電球か何かを撮ったようなもので、丸くて光っているだけでしたから…(笑)。
月ネタでついでの話。月の模様の写真が、今日のように誰でも簡単に撮れるようになる前には、ドラマや映画でもよくアメリカの月探査機が撮影した月の画像が使われていました。これは、(C)NASAと表示させれば誰でも画像を使ってもよいとされているためと思われます。(得た画像は「人類共通の財産である」という考えだそうです。)このためよく使われていたのですが、しばしば月周回軌道からの写真、つまり「写っている月の半分は裏側=地球から見えない部分」というのがありましたねぇ…。


さて「関ヶ原」。合戦のさなか、家康が敵陣を見るのに遠眼鏡を使います。瞬間、ひらめく天文マニアのツッコミ魂。ここでごくごく簡単に日本史と世界史を復習しましょう。(大河ドラマ関係も加筆しました)

1543 鉄砲伝来(天文十二年…読み方は「てんぶん」です)
1560 桶狭間の戦い
1563 井伊直親、殺害
1569 小野但馬守政次、獄死
1582 本能寺の変
1600 関ヶ原の戦い
1609 オランダで望遠鏡が発明される
1613 イギリス人ジョン・セーリス(John Saris)により徳川家康に望遠鏡が献上される(『外藩通書』近藤正斉。記録に残された中では最古とされる)
1614 大坂冬の陣
1615 大坂夏の陣

…というわけで、関ヶ原の戦いの折に望遠鏡が使われた…どころか日本にあった…どころか発明されていた…とは考えられないのです。


これだけではただの揚げ足取りで終わってしまいますので、ちょっとだけ原因調査を。実は創作物の中にかなりの数、関ヶ原に望遠鏡の著述があります。有名作家でも、こんなものもあります。(ちょっと検索しただけでもヒットします)

「殿。松尾山の小早川勢が、うごき出しましてござる」
馬へ乗った石田三成へ、侍臣の平山惣右衛門が叫んだ。
「何・・・」
平山が差し出す異国わたりの遠眼鏡をつかみ取り、石田三成は松尾山を見た。
池波正太郎真田太平記』関が原の段(新潮文庫より)


望遠鏡は別名「遠眼鏡」(とおめがね)とも言います。ところが、一説によると、織田信長南蛮人より遠眼鏡を献上されて喜んだ、という記録があるようなのです。信長が本能寺の変で没したとされるのが1582年ですから、これを望遠鏡とするには時代が早すぎます。これに関しては「遠くがよく見えるメガネ」を遠眼鏡と称したとも言われ、つまりはメガネの事なんじゃないかと思われます。この、メガネと望遠鏡の混同が勘違いの一因ではないかと思います。ちなみに映画「関ヶ原」で出てきた遠眼鏡は、長い筒になっていて片方からのぞいていましたので、まあ望遠鏡なんでしょうけど…。
もう一つ、鉄砲伝来あたりから始まる西洋文化流入が、前後数十年くらいひとくくりにして語られる中で混同されてしまった…というのもありそうです。例えばこのような文が(内容は変えてあります)「鉄砲をはじめ西洋からさまざまな道具が入ってきて、いくさの仕方もずいぶん変わってきた。鉄砲・時計・望遠鏡などである。」と。例えば大坂夏の陣の頃なら、家康が遠眼鏡で敵を見ていた可能性もあるわけですが、関ヶ原ではまだのはずです。
ところで、昨年の大河ドラマは「真田丸」でしたけど、その真田幸村大坂の陣で使ったと伝わる望遠鏡が、真田庵宝物資料館(九度山町)に展示されているようです。ネットで画像を見ただけなので、あるいは幸村ではなく信之や子孫のものかもしれませんが…。


ここで悪い冗談…『実は、望遠鏡はわが国の発明である。1540年頃、防縁鏡という人物が…』などと、ある国が言い出しかねない気がしますけど…まぁ、民明書房ネタですね(笑)。


…というわけで、映画の関係者の中にはやっぱり天文マニアはいないみたいですねぇ…。残念です。