鉄腕アトムと真空管


小さい頃の記憶ですが…。


たしか、鉄腕アトムの体内には真空管が部品として入っていたよなぁ…。で、エプシロンが深海でプルートゥをだまして沈めようとした時に「真空管がころがった、とってきてくれないか」という台詞があった記憶が残っているのです。これ、どうだったのかなぁ?いつか確認したいなぁ?と思っていました。


先月、宝塚市手塚治虫記念館を訪れたおり、単行本展示コーナーがありました。ここ、ソファーがあって図書館のように自由に読めます。そこで鉄腕アトムの「地上最大のロボットの巻」を探して、読んでみました。(ゆっくり楽しんで読みたいのをぐっとこらえて、目的の箇所まで斜め読みしました…。)

老眼鏡を使って読書。慣れない「自撮り」。


手塚治虫漫画全集(1979年頃・講談社刊)より、問題のコマ。

あれれ…記憶と違うぞ?これもしかして、時代が真空管よりもずっとずっと進歩してきてしまったので、台詞を差し替えたのかも…。


そこで、実家からカッパコミクス版鉄腕アトムを持ってきました。カッパコミクス(1964年・光文社)です。


例のコマはこれ。漢字にルビがついているのって、今もそうかな?

あ、やっぱり。これで疑問解決。やはり時代の進歩に応じて、台詞を変えてありました。


ついでに見つけたコマ。真空管とともにヒューズも使われなくなりました。


ここで基本情報です。手塚治虫作・「鉄腕アトム」は、光文社の月刊漫画誌「少年」*1に連載していました。
いっぽう、カッパ・コミクス(当時のままの表記です)は1963(昭和38)年12月創刊。毎月発行され、それぞれ通し番号がついていました。こちらは完成している作品をコミックス化したものでしょう。
プルートゥが出てくる「地上最大のロボットの巻」は、鉄腕アトムの中でもかなり高い人気を誇る作品。(個人的には1位をつけても良いと思います。)世界各国の数々のロボットが戦いを繰り広げる…という、ある意味少年漫画の王道とも言えるストーリーで、後に出てくる作品*2に大いに影響を与えています。


さて、「地上最大のロボットの巻」の初出は1964年(昭和39年)「少年」6月号。翌年1月号までですので、8ヶ月にわたる連載ですが、この大作をよくぞ8ヶ月で…と思います。時期としては東京オリンピックにかかっていますが、ロボット同士の戦いとオリンピックでの戦いを重ね合わせて、かなり盛り上がったんじゃないかと思います。私はまだ小さかったので、残念ながらこの初出は知らないのですが…。
カッパ・コミクス版『鉄腕アトム』「地上最大のロボットの巻」は、1965(昭和40)年4月・5月発売の通巻17・18号。テレビアニメの放映と時期を重ねての発売だったようです。私、このカッパ・コミクスはリアルタイムで買っていました。全部は揃えられなかったのですが、かなり集めた記憶があります。でも親から『もうおにいちゃんだから要らないよね』と言い聞かされて、泣く泣く処分…。それでも後年、ある友人が引っ越しする際に10数冊を譲り受けることができました。ありがたや…!(とは言ったものの、誰からいただいた物だったか忘れてしまっています。大丈夫か?自分?)


そんなこんなで、旅をきっかけに昔の記憶をたどり、古い漫画を引っ張り出してきたり、なかなか楽しい思いをしています。
最後にオマケの一コマ。

アトムが百万馬力に改造されるシーンの一つ。これも大好きなコマで、おんなじのを書いてみたくて、半紙で写し取っていた記憶があります。

*1:雑誌「少年」は1946(昭和21)年11月創刊。1968(昭和43年)3月号をもって休刊。鉄腕アトムはこの「少年」に、1952(昭和27)年4月号から1968(昭和43)年3月号まで掲載されました。

*2:ご存じのとおり本作へのオマージュとして浦沢直樹Pluto」があります。また、「キン肉マン」の、バトルが中心となってからの部分は、かなりヒントにしているな…と思っています。プルートゥバッファローマン、ノース2号→アシュラマン、このあたりは特に…。