夜会

仮更新…大江戸線にて。


赤坂ACTシアター、中島みゆき「夜会」に行きました。たいへん濃密な時間を過ごしました。付き合ってくれたあらいさんとの飲み会も楽しかったです。ありがとうございました。
残っていたチケットも「オクの手」で消化しました。元は取れなかったけど…。
(これ、またもこの前の更新のコピペ…)


さて、また上野のカプセル泊まりです。今月何回め?(笑)*1


【追記】
まだ数日「夜会」は続くので、以下、隠します。
私、「夜会」を見るのは初めてでした。内容は、けっこうわかりづらいです。何の予備知識もなしに行くと『???』となるかもしれません。今回の「夜会」についていえば、少なくとも「山椒太夫」(安寿と厨子王)の知識がないとついて行けないでしょう。もちろんそれだけでも不足ですが、その不足分の補完は会場でパンフレットを購入して読むことで何とか努力しました。それでもなおかつ難解であることには違いありません。きっと、たぶん、帰ってから『あれはどういう意味だったんだろう?』と考えさせるのが目的なんでしょう。そんな箇所がいつくもある、難攻不落(?)のミュージカルです。
良く出てくる言葉、読解に関連しそうな単語を並べてみます。約束、裏切、後悔、除夜の鐘、彼岸、此岸、前生、今生、来生…。う〜ん、何のことかわかりませんね。
演者は、中島みゆきさんを含め、わずか4名。この4名が舞台を変えて合計14役を演じます。カーテンコールでわかったのですが、音楽は全て生演奏。ピットに10名のミュージシャンが忍んでいました。
舞台の作りがすごいです。最初から最後まで、天井の高いステージの左右に上から下まで絶壁があって、そこに本物の水が流れています。が、それはまだ序の口で、最終盤にはステージ奧から客席に向けて、大量の水が流れて来るしかけになっているのです。いやあれはびっくりしたなぁ。何か出てきたぞ、と思ったら、本物の水で、みるみるうちに奔流となり、舞台手前の階段を降りてくるのです。


簡単に内容を説明するために、あとがきの一部を引用します。

舞台の場は、安寿の入水した沼の畔に建てられたという、尼寺。
あの事件から何百年経ったのだろう。
さらに時が経てば、そこは尼寺が消えた後に建てられた
水族館の、廃墟。
これは今なのか。まだ昔なのか。
ここに居る者は、生身なのか。亡霊なのか。
姿を変えた安寿と厨子王が引き寄せられる行手には、
またもや、裏切った日の後悔が、口を開けている・・・・・・・

以下、パンフレットを記憶のよりどころとして書きます。
第一幕は、寺。縁切り寺、いわゆる、駆け込み寺。庵主(安寿とのシャレでしょう)と暦売りの掛け合いに、ホームレスと娘がからんでくる。ホームレスの歌より「売り子は、売る子か、子を売る者か、はたまた売られた子のことか」
第二幕は、第一場が水族館。舞台は水族館の底なのか、外なのか。水族館の飼育員とか、突然消火栓から出てくる左官屋とか、さらにわからない展開。第二場が船。第三場が今晩屋。やはり役がいつくも入れ替わり抽象的です。
安寿と厨子王を売った母。厨子王を逃がし入水して現世から逃げた安寿。安寿を犠牲にして逃げた厨子王。前世の後悔が現世にも続き、来世にも続くであろうこと。今になって、そんな感想がぼうっと頭に上ってきました。
また、劇中で気になった曲に「夜をくだされ」「夜いらんかいね」という一対のものがあります。中島みゆきさんは、この場合の「夜」に、どういう意味を求めているのでしょう。あるいは、後悔にまみれ、隠れて生きるところ。あるいは、安心して隠れられるところ。ちょうど水の底のように。


お客さんは全体的に年配の方が多かったです。私の両隣も、私より上に見える女性でした。中島みゆきさんのファン層の中心年齢って、こんなに高かったかな?とも思いました。
働いている方が平日に見に来るのを想定している、とのことで、開演は20:00と楽なのですが、終演は22:30近くになってしまいます。もしその日のうちに帰ろうとしたら、上野発の最終に間に合ったかどうか微妙なところです。東京に住んでいる人向けの設定ですね。ちょい寂しい思いがします。でも地方ではこんな大がかりな舞台はできないし、お客さんも入りませんから、仕方ありません。地方の皆さんは、泊まり覚悟で見に行きましょう。見に行くだけの価値が…あるかないかは、はっきりいって見る人次第です!!!(これ、賛辞の一種とお考え下さいね。)

*1:答.この10日間で3回目です。今回は「中島つながり」となっておりますw