「鎌倉殿の13人」…次は誰が…

ドラマの歴史物(全フィクションよりも史実ベースのもの)が面白くなってきたのは、歳を取ってきたせいでしょうか。NHK大河ドラマも、近代よりは明治維新前の方が面白いです。
さて現在の大河ドラマ「鎌倉殿の13人」。あまり知らなかった時代のお話なので、新しく知ることがたくさんです。


さて、タイトルにある「鎌倉殿の13人」についての予習です。この合議制、13人揃っていたのは、実は2年程度しかありません。いろいろな原因で、次々に没していくわけです。誰が誰を裏切り、誰を仕向けていくか…その辺りがこれから描かれると思います。そこで、wikipediaで調べた「13人の没年」一覧表です。没(または失脚)の年の順に並べてあります。
ドラマの脚色では、これが前後したり、省略(ナレ死など)されたりするんでしょうけど、

氏名 文官 没(失脚)年と死因 備考
梶原景時 正治元年(1199年)討死。 梶原景時の変
三浦義澄 正治 2年(1200年)病死。  
安達盛長 正治 2年(1200年)病死。  
二階堂行政 不明。 実朝将軍期(1203年~)になると政所下文の署名から姿を消す。
比企能員 建仁 3年(1203年)謀殺。 比企能員の変
北条時政 元久 2年(1205年)追放。 牧氏事件。没は1215年
足立遠元 承元元年(1207年)病没か。 史料から姿を消す
中原親能 承元 2年(1209年)京都で卒去。
和田義盛 建暦 3年(1213年)討死 和田合戦
八田知家 建保 6年(1218年)  
三善康信 承久 3年(1221年)病没  
北条義時 元仁元年(1224年)  
大江広元 嘉禄元年(1225年)  


13人に限らず、ドラマ全体の年表として作るとすると、こんな項目も加える感じかな。

個人的には三浦義村(演:山本耕史)に「私の好きな言葉です」というセリフを言って欲しいですね(笑)。まだ撮っているようですので、三谷脚本ならあり得る…とみています(笑)。