大河ドラマ「麒麟がくる」、コロナ禍で中断の後、いよいよ佳境に入ってきました。
先週は松永弾正久秀が信貴山城の戦いで自刃。実はこの年、1577年に大きな彗星が現れ、人々はこれを「弾正星」と呼んだそうです。ドラマで彗星が出てこないかなぁ…と期待していたのですが、残念、出ませんでした。
この彗星、天文学の歴史上、非常に重要な天体で、ヨーロッパでティコ・ブラーエが肉眼で精密に観測し(望遠鏡はまだ発明されていません…少なくとも天体観測に使うほどに普及はしていませんでした。)、「彗星は月より遠い」と結論づけたのです。当時、天界は不変の世界(調和のとれたコスモスな世界)であり、彗星などの不定期な現象(不調和、カオスな世界)は大気圏内の気象現象の一種とするのが一般的でした。
また、本能寺の変の年、1582年にも彗星が記録されています。こちらは1577年ほど明るくはなかったようですが、ドラマ的にはこれが出てくると面白いような気がしますけど…。
…というきっかけがあり、星の同好会に下の年表を投稿しましたので、ブログ用にアレンジして掲載します。
「麒麟がくる」時代の天文現象 etc.
※ 人物の生まれ年には諸説ある場合があります。本表はwikipediaによります。
※ wikipediaで見つけた怪しい現象や、西洋のできごとも入れました。
西暦 | 和暦 | できごと | 亡くなった人物 | 生まれた人物 | 天文現象など |
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1560 | 永禄3 | 桶狭間の戦い | 今川義元 | 石田三成 | |
1561 | 永禄4 | 井伊直政・福島正則 | ニュルンベルク上空の天文現象 | ||
1562 | 永禄5 | 加藤清正 | |||
1563 | 永禄6 | 細川忠興・細川ガラシャ | |||
1564 | 永禄7 | ガリレオ・ガリレイ | 6月 5惑星集合 | ||
1565 | 永禄8 | 永禄の政変 | 足利義輝 | 森蘭丸 | |
1566 | 永禄9 | バーゼル上空の天文現象 | |||
1567 | 永禄10 | 伊達政宗・真田幸村 | |||
1568 | 永禄11 | 信長が上洛 | 黒田長政 | ||
1569 | 永禄12 | 茶々(淀君) | |||
1570 | 永禄13 元亀元 | 姉川の戦い | 2/5 金星・木星 大接近 | ||
1571 | 元亀2 | 比叡山焼き討ち | 毛利元就 | ヨハネス・ケプラー | |
1572 | 元亀3 | 宇喜多秀家 | 7/10 部分日食 (サハリン金環食)・11月 SN 1572 (ティコの新星) | ||
1573 | 元亀4 天正元 | 槇島城の戦い一乗谷城の戦い小谷城の戦い | 朝倉義景浅井長政武田信玄 | 沢庵 | |
1574 | 天正2 | ||||
1575 | 天正3 | 長篠の戦い | 8/10 部分日食 (屋久島で皆既食) | ||
1576 | 天正4 | ||||
1577 | 天正5 | 信貴山城の戦い | 松永久秀 | 1577年の大彗星 | |
1578 | 天正6 | 上杉謙信 | |||
1579 | 天正7 | 安土城の完成 | 築山殿・徳川信康 | 徳川秀忠・春日局 | |
1580 | 天正8 | 2/15 部分日食 (シベリア皆既食) | |||
1581 | 天正9 | ||||
1582 | 天正10 | 本能寺の変・山崎の戦い | 武田勝頼・織田信長・明智光秀 | 小早川秀秋 | 3月 オーロラ・5月 彗星・6/21 部分日食 (石垣島で皆既食)・10月 ユリウス暦からグレゴリオ暦へ |
wikipediaメインで調べましたが、いろいろ興味深い記録があります。
例えば、豊臣秀吉に可愛がられた武将たち。この頃、続々と生まれているんですね。「戦国第7世代」でしょうか(何だそりゃ…笑)。なおこの表より古い世代ですが、ティコ・ブラーエと黒田官兵衛は同い年(1546年生まれ)です。
wikipediaにあったナゾの記事が2つ。一応「天文現象」とタイトルにありましたので記載しました。詳しくはそちらを読んでみてください。諸説あるようですが、果たして、宇宙船の交戦なのか、気象光学現象なのか、集団催眠に近い現象なのか、解明しようがありません…。同じような目撃記録に「太陽の奇跡」(ファティマの聖母 1917年)がありますが、これは「天文現象」とは書かれていません。いずれにしても、当時の人々の、記録のしかたのクセ、話の盛り方のクセ…等がわかりませんので、検証のしようもありません。そもそもこれを「天文現象」と題してしまうのは疑問が残りますが…。
この年表を作る過程でいろいろと検索をしたのですが、隣の市に伝わる古文書の、天文に関する記録を調べたアマチュア天文家の方がおられまして、その学会誌のpdfデータもDLできました。内容については古文が苦手な私にはとても読めなくて残念…。で、著者のお名前を見たら、なんと、よく知っている方でした。たぶんコメント書いてくれると思いますので、待ってます(笑)。
ところで、1577年に出ていた彗星を「弾正星」と呼んだように、西南戦争の頃、大接近(1877年)して非常に明るくなった火星を「西郷星」と呼んでいました。(ちょうど300年後なんですね。)これらの他にも「何々星」と呼称されたものを、もしご存じでしたらお教え下さい。