ギタリストは立腹するんじゃないか?


ツイッターのTLで話題になったネットでの一文より。下らない文章に下らない考察をします。


これ、「炎上商法?」ってくらい大胆に勘違いしてると思います。たいへん残念です。悲しくなります。もしかしたら炎上して削除されるかもしれないので全文引用します。当事者から著作権の問題で抗議が来たらもちろん削除します。
こんなクダラナイ文章のアクセス数が増えるのはしゃくなので、リンクは張りません。張ったら、バイラルメディアの思うつぼ…ですからね。


この方、ギターは弾けないそうですが、バンド経験(ドラム)ありですね。さらにライブはおそらく年間数十本行っておられるご様子。なのに、なんでこんなにわかっていないのかなぁ…?
話の持って行き方もお上手(w)ですね。大事な部分は「人に聞いたらこう話していた」って事で書いています。これって批判をかわすための作戦?それにしても聞いた相手がギタリストでなく、ディレクターとローディーとはね…(笑)。ギタリストに聞いても正直に答えることはあるまい…と踏んだのかな?
そもそもギターという楽器を正しく理解していれば、間違ってもこんな発言はしないでしょう。ギターが、いかに『チューニングが合わない楽器』かって事。いや、もっと言うと『合うはずのない楽器』です。それを、少しでも納得がいくように、本当なら直したくもないチューニングをわざわざやっているんですけどねぇ…。(そうじゃなくて目立ちたいギタリストも、ご高説のとおりにいるでしょうけど。)
チューニングがちゃんと合うようにするには…そうだなぁ「フレットレスにして、開放弦は使わない」でしょうね。バイオリンみたいに、プレイヤーの耳が全て。でもそれってギターとはちょっと違ってきちゃう気もします…。


私みたいな金無しアマチュアギタリストでは、プロのギタリストと同列には語れないでしょうけど、それでもアマチュアなりにライブには気合い入れます。結果、逆に失敗する事も多いです。例えば、より良い音で鳴らしたいので、新しい弦を張ります。ところが新しい弦っていうのは良く伸びるので、すぐにチューニングが狂うんです。で、伸びて狂う事がなくなるくらいの古い弦になると、音がどうも良くないし、いつ切れるかわからないので、ライブ本番ではとても使えません。そういうジレンマを抱えつつ、それでもなるべく良い音を届けようとしているんですよねぇ。
ここんとこは、この人が引用した(!)ライターさんの言うところの「スーパーなギタリストほど、チューニングの狂う確率が圧倒的に低いギターを「作り出している」」とか「いつも側にいるローディーもスーパーな存在である」とか、縁遠い話。ギターを作り出すほどのお金もヒマもありません。自分の今の環境でのベストな音を作り出す…それが精一杯です。その精一杯の努力を「一笑に付された」感があります。


どんなにスーパーなローディがいて完璧にチューニングしたとしても、1曲弾けば(いや、音を一つ出せば)チューニングは狂います。弦は伸びるし、チューナーが緩む事もあります。次の曲がカポでもつけようものなら、間違いなくチューニング修正が必要になります。経験的なものですが、マーチンのギターは高いところにカポをつけると、特に6弦がフラットになりますね。ずっと同じギターを使うプレイヤーで、全くチューニングを直さない人がいたら、逆にその人のセンスを疑います。そもそもギターのチューナーが、いつでもすぐに精密なチューニングができるようになっている理由って…。
でもなぁ、「ギターはサウンドのほんの一部」っていうバンドのサウンドの場合と「ギターの音の比率が非常に大きい」ソロギターや弾き語りの場合って、きっと違うよなぁ。前者だったら「まぁなんか鳴ってりゃいいかな」って人もいるかもしれないもんなぁ…。


あ、先日、吉川忠英さんのライブに行きましたけど、数曲弾いてからていねいにチューニングしなおしてましたよ。きちょうめんなギタリストほど、チューニングが気になって仕方ないんだと思うんだけどなぁ…。


引用文は長いので隠します。

なぜギタリストはステージでチューニングをするのか 兵庫慎司が“積年の謎”に迫る
2015年9月13日 18時9分

リアルサウンド


 ライブ中にステージ上でミュージシャンが行う、ギターやベースのチューニング。あれ、どんな意味があるのだろうか。

 曲間でボーカルがMCをしている時に、チューニングをしているのはまだしも、客電が消えSEが流れ、ステージに登場してアンプ脇に立てられていたギターを手にし、いきなり1弦ずつチューニングを確かめ始めるギタリスト。みんながみんなそうではないが、けっこうな頻度で目撃する。その間、こっちは演奏スタートを待ってぼーっとSEを聴いていなきゃならないことになる。そもそもギターはきっちりチューニングが合った状態でそこに置かれているはずなわけで、あれ、意味あんの?

 何年か前に、その筋のプロである知人ふたりにたずねてみたことがある。ひとりは元々楽器店で働いていて、レコード会社へ転職して以降一貫して制作畑で仕事をしてきたディレクター(仮にYとします)。もうひとりはさまざまなバンドを手がけてきて、今も日々大忙しで日本中を飛び回っているベテランローディー(仮にQとします)。

 Qの答え。

「意味ないですね」

 リハが終わってそこでギターが置かれた段階でもちろんしっかりチューニングしてあるし、温度やなんかの影響でチューニングが狂ったりしないように、開場後も自分たちローディがステージに行って確認しているので、基本的に必要のない行為であると。

 これ、昔、渋谷陽一がよく書いたり言ったりしていた彼の持論なのだが、ライブの時、海外の有名ギタリストは全然チューニングを直さない、という。確かに僕もライブを観ていてそう思ったことがある。で、そういうアーティストの場合、ステージにギターを置いておかないで、ギターを持って出てくることが多い。なるほど、それなら直前まで楽屋でチューニングできますよね。

 と思ったらですね。たとえば、日本のフラワーカンパニーズというバンドの竹安堅一というギタリスト。この男、最近、ライブの時、ギターを持って出てくるようになったのだが(確か昔は違ったと思う)、それでも1曲目を始める前にステージでチューニングをするのだ。手にギターを持って、楽屋を出て、ステージの自分の立ち位置に到達するまでの間にチューニングが狂ったかもしれない、というのか。どんだけ心配性なんだ。つまりその行為も、基本的に意味がない、ということになる。

 そう考えると、曲間のMCなんかの時にチューニングをしているのも、ほんとに意味あんのか? という気がしてくる。そりゃあ弾いてるうちに多少は狂うこともあるかもしれないが、そのギタリストがチューニングをする前の曲で、「ありゃ、ギターの音、狂ってんなあ」と思った経験、僕にはほぼない。逆に、「さっきあんなに念入りにチューニングしてたくせに、曲が始まったら狂ってるじゃねえか!」と思ったことはあるが。

 たとえば奥田民生は、あんまりチューニングしない。どんどんギターを交換しながらライブをやるのでその必要がないのだと思うが、この間、9月3日Zepp DiverCity Tokyoでのサンフジンズのツアーファイナルでは、次の曲にいこうとしてギターをちょっと弾いてから「あ、ごめん、ストップ」と中断し、チューニングを直していた。これはわかる。ちゃんと目に見える形で明確な理由があって、チューニングしたわけなので。

 それにだ。そもそも前提として不思議なのが、ギターってそんなにチューニング狂う楽器なのか? いや、狂うんだろうけど、ならば、狂わないようにできないものなんだろうか。

 昔、中島らものエッセイで読んだのだが、三味線という楽器はそもそも弾いているうちにどんどん調弦が狂っていくような作りになっていて、それを直しながら弾くのも技術のうち、それができない奴はダメ、というふうに判断されるらしい。「アホか!」と、中島らもは書いていた。そんな意味ないことで優劣つけてないで、そもそも調弦が狂わんように作り直さんかい、と。

 という三味線の例ほどではないが、ギターももうちょっとなんとかならないものなんだろうか。僕が高校生の頃に、フロイド・ローズやケーラーといったヘビメタ御用達のトレモロアームが流行り始めた時、同時にギターのヘッドのすぐ下んとこで弦を締めつけるやつ……チューニングロックっていうんでしたっけ、あれが登場した時は、これでチューニング狂わなくなるのかな、と思ったら、そうでもなかったし。

 というか、じゃあ逆に、なんで外タレの大物ギタリストは、そんなにもチューニングが狂わないんだろうか。

 というこの話、実は昔、RO69という音楽サイトでやっていたブログで同じようなことを書いたのだが、当時、それを読んだ友人の音楽ライター、島田諭が以下のようなメールをくれた。

 以下、そのままコピペ。

ジェフ・ベック等のスーパーギタリストが、ライブ中にチューニングしないのは、チューニングの狂う確率が圧倒的に低いギターを使っているからです。
つまりは基本、狂わないんです。

だからチューニングの必要がない、という、おそろしく単純な理由なんです。

ペグ、ナット、ブリッジ、使用する弦。スーパーなギタリストほどこういったもの、そしてメンテナンスに気を遣います。

異常なほど気を遣います。

つまり、スーパーなギタリストほど、チューニングの狂う確率が圧倒的に低いギターを「作り出している」んです。

そのための労力は絶対に惜しまない。
エディ・ヴァン・ヘイレンが弦を鍋で煮てからギターに張る、というのは有名な話ですね。
聞けばなるほどなアイデアですが、そんなことを思いつく、そんなことをしてしまうなんて、病的としかいいようがありません。

だけど、ギターを弾くことに対し、それだけ必死だということであって、となれば、当然、いつも側にいるローディーもスーパーな存在であるわけで、そういうギタリストと、そういうローディーが一緒に、チューニングの狂う確率が圧倒的に低いギターを「作り出している」わけです。

だからスーパーなギタリストほど、メインとして使用するギターは1本か2本しかなくて、弦が切れてしまったとか、変則チューニングなど、演奏に直接的に関係する場合を除けば、ライヴ中は基本的に、ずーっと同じギターを使っています。

たとえが古くて申し訳ないけど、くだんのエディもそう、リッチー・ブラックモアもそう、マイケル・シェンカーもそう、ナイト・レンジャーのふたりもそう、アン・ルイスが大好きだったジェイク・E・リーもそう。そして、ジェフ・ベックゲイリー・ムーアもそうです。

どうでしょう、なかなか説得力あるでしょ?

 コピペ、以上です。

 確かに説得力ある。なるほど、と思う。

 そして。つまり、逆に言うと、ライブの始まる時やMCの間にピンピンとチューニングをしている日本のギタリストたちは、そこまでの努力をしてチューニングの狂わないギターを作りだそうとしてはいない、ということになる。

 なぜ彼らはそれをしないのか。チューニングが狂ってもいいと思っているわけではないが、狂ったら直せばいい、と思っているからだろう。とまず思われるが、もうひとつは「ステージの上でチューニングしたい」からなのではないだろうか。

 前述の、1曲目をやる前にチューニングするの、意味あるの? と尋ねた時の、Yの答えはこうだった。

「あれはチューニングをしてるけど、チューニングをしてるんじゃないんだよ」

「え、じゃあなんなんですか?」

「ほら、ムエタイの選手って、試合前に神に捧げる踊りをするじゃない? あれと一緒だと思う。あれをやることによって精神を集中する、みたいな」

「へえー。でもそれ、客前でやる意味なくないですか? 楽屋でやれよ、って話じゃない?」

「いや、だってムエタイの選手もリングで踊るじゃん。誰も『控室で踊れよ!』って怒らないでしょ? リングなりステージなりっていう場に立ってるからこそ、その行為に意味がある、ってことなんじゃないかな」

 これを拡大解釈すると、曲間のMCの時にチューニングをするのも、「あれをやることで心が落ち着く」「ボーカルがしゃべっている間、手持ち無沙汰にならなくてすむ」という理由なのではないかという気がする。

 そう考えるとわかる。腑に落ちるし、そちらの事情も理解できる。できるんだけど、いざ観る側に回ると……日常的にライブというものを観るようになって30年以上経つが、いまだに慣れることができない。単に、私がすんごいせっかちな性格だからなんですが。MCもないならなくていい、どんどん曲をやってほしい、ぐらい思うタチだからなんですが。

 でも結論。チューニングの狂わないギターは存在しない。一部のスーパーギタリストは、自分で自分のギターをそのように作り替えていくが、大半のギタリストは、それをやらない。なぜ。ステージでチューニングをしたいから。

 なお、私、ギター、持っていますが弾けません。毎年正月になるたびに「今年こそはギター弾けるようになりたい」「あと、今年こそは英語しゃべれるようになりたい」と思い続けて30年以上経過、そんな奴ですので、お詳しい方からの、あるいは当事者であるギタリストからの、異論反論は大歓迎です。(兵庫慎司)