四十九日も終えたので

1月10日、父が亡くなりました。16日が通夜、17日が告別式でした。
昨日、四十九日法要があり、お骨をお墓に納めました。


このこと、ブログやツイッターでは書いていません。これから忙しくなりそうで、コメントにレスできないなぁ…っていうのと、特に秘密にすることもないけど、特におおっぴらにすることでもないなぁ…と。でも、『なんで言ってくれないの』と思われる方もいるかもしれませんね。黙っててすみませんでした。
四十九日が済めば「喪が明けた」ということで、『歌舞音曲を慎しむ』モードから抜けます。また機会を見てライブに出演したいと思っています。(見る方は、先週、既に先行解除しちゃいましたw)


父は2年少し前に大腸ガンの大きな手術をしました。その前にも膀胱ガンから始まる一連の入院がありました。その後、普通の生活をしつつ、時折検査入院をしていましたが、肺や肝臓に転移し、昨年12月10日の深夜に苦しんで緊急入院。(これ、私は一緒に住んでいないため知らなかったのです…その日はアートガーファンクル見に行ってましたね…汗)それから一ヶ月で逝きました。最初のうちは話もできるし、おかゆ食だと言っていたので安心(=油断)していたのですが、飲み込む力が弱ってきたため、正月前に誤嚥性肺炎を起こし、それから食事ができなくなりました。点滴による栄養摂取だけになってしまったわけです。そうなると急激に弱ってきて、入れ歯を外したせいもあって、言葉も聞き取りづらくなりました。それでも1月2日や4日に会った感じでは、まだもう少し、粘ってくれるかな、と思いました。
1月10日(土)、昼過ぎに病院から電話があり、『心音が弱くなってきたので個室に移したいが、どうか』とのこと。ちなみに私への電話は第2順位。第1順位の兄が電話に出なかったみたいです。ところが、電話で話しているうちに心停止があったのか、『すぐに来てください』に変わりました。
あわてて病院に駆けつけました。(といっても『絶対に事故を起こさないように』と、一部冷静な部分ありました。)既に話しかけても反応もなく、心電図も取り外されていました。事実上、医師による診断を待つのみでした。これって、『親の死に目に間に合った』って言えるのかなぁ?診断はまだだけど、もう止まってるから…?
でも全体的に見て、最後は苦しむこともなく、fade outという感じでした。父は4人兄弟ですが、4日には唯一生き残っている叔母さん(父の妹)とも会えたし、無事に看取った、と言えるのかな…。


父は昨年の秋頃から、排泄の感覚が弱くなり、気がつくと漏らしているという状態になり、紙おむつの世話になるようになりました。これはプライドの高い父にとってはつらいことだったようです。自分の意思で1人で排泄できるって、人間の尊厳にとって重要なことです。私も18歳の時に交通事故で入院した際、ひと様の世話にならないと排泄できないってイヤだったですもん。1人でできるようになった時、安心しましたもん。
それと、最後の頃は、寂しかったんじゃないかなぁ…。というのは、母がボケちゃって、だんだんいろんな事がわからなくなって来ちゃいました。たぶん、あれこれ頼みたい事もあったんじゃないかと思うのです。息子たち2人はそろって独身だし(笑)、兄は夜勤でタイミング合わないと話できないし、弟(私)はよそに住んでいて月に一度しか顔出さないし…。間違いなく、寂しかったと思います。お父さん、ごめんなさい。
「もっと話すればよかった」っていうのは、親を亡くした人はみんな思うはず。自分だけじゃないとはわかっていますが、いざ自分の番になると、これはずっしり重いです。


通夜の夜、遺体となった父に、深夜、思い出話していましたけど、最後に、自然にぽろっと出た言葉は「ごめんなさい」でした。できの悪い、気の利かない息子です…ごめんなさい。