私的にいろいろと反省しなければいけない事がありまして、ついでにこれまでにも反省しつつまだ反省文を書いてなかったな、という項目についても書きます。
昔に比べると、連絡手段・通信手段にもいろいろな方法ができまして、これらをどう使うか、どう対処しているか…って、個人個人でかなり差があるんだな…と思うことが、最近いろいろありました。で、『あ、自分の感覚が皆さんからズレているみたいだなぁ…』と思ったわけです。
例えばケータイ。最近はそうでもありませんが、一時期、私はケータイを携帯しない困った人でした。いや実際ほとんどかかって来ないので、「イベント時専用」にしていました。あとは「発信専用」にも。
でも皆さん、ケータイって、いつでも相手と連絡を取れる…って思ってます?それって(厳しく言えば)自己中な考えじゃない?何かあった時、『なんだ、ケータイに連絡くれれば良いのに…』って思います?
ケータイとの距離感は、人により立場により大きく異なります。ある人にとっては『ケータイで仕事の連絡してるから、仕事中でも当たり前のようにケータイ使ってる』し、違う人にとっては『仕事中にケータイいじるなんてとんでもない、お客さんから顰蹙買っちゃう』し、それこそまっっっっったく違うんです。
自分の事を言えば、ケータイに着信があった場合、取ろうと思えば取れます。でも緊急事態で着信待ちの時限定に自主規制しています。だいたい引き出しにしまいっ放し、ほぼ気づきませんし、気づいても出ません。(例外は、親が入院している時でした。)でも人によって、子供さんを預けている保育園からよくかかってきたりして、それはそれで仕方のない事だなぁ、と思っています。
さらに、通勤時間帯ですが、車通勤のため、ケータイ鳴ってもまず出ません。職場なり自宅に着いてからの確認になります。自宅に帰るとケータイは即、枕元の充電スタンドへ。夜も、ケータイが鳴ってもほとんど気づきません。このため、ケータイのメールの着信に気づかず、お仲間の皆さんが盛り上がっている時に会話に入れない事もしばしば…。急いで返さなくちゃいけないメールの返信が翌日になってしまう事もよくあります。いやホント、友人諸兄には迷惑かけちゃってます。あらためてここでおわびいたします。いつも申し訳ありません。
こんな風に、人によっていろんな通信手段との距離感が違うので、時にすれ違いが起こります。
25年ほど前、まだ留守番電話が珍しかった頃、私は独り暮らしの不便さを補うために早々に導入しました。ある時、必要な連絡をいつもくれない友人がいて、会う機会がある時にそれを言ったところ、『電話するといつも留守番電話なんだもん…』との意外な一言。さらに『留守番電話、苦手で…』とのこと。うわー、こちとら、『いつも不在だからせめてメッセージください』との思いで留守番電話を入れてるのに、わかってないんだぁ…と、正直ガッカリしました。でもこれ、ホント「すれ違い」ですよね。自分の勝手な思いを他人にも強要するな(→自分)って話ですよね。反省しました。
FAXもありました。あるボランティアグループでの話。取材対応の話題が出たとき、「出たかった」側の人曰く『取材入るなら連絡くれよ。FAXくれれば済む事だろ。』とのご意見。まだFAXが今ほど普及していなかった時代ですが、この方、お仕事の関係で早々とご自宅にFAXを導入していました。ところが執行部の方は、昼間に取材が決まっても、FAXの発信ができる立場に(場所に)いない、というわけです。ご意見番にとっては何かあったらFAXくれるのが常識、なんでしょうけど…。
FAXに関してはもう一つ。あるイベントが終わって、若い人たちといろいろ話をしていたんですけど、執行部への文句ばっかり出てくる出てくる…。年寄りとしてはこれをおさめないと、というわけで『そんなに言いたいことがたくさんあるんなら、箇条書きにしてFAXでもしたら?』と、もっともらしいアドバイスをした…つもりでした。ところがこれが大変なことになりました。一人、過剰反応する人がいまして(そこまでひどいとは思わなかったんです…)、執行部の方のご自宅FAXに、毎日毎日何枚もFAXを送りつけるようになった…という過激さでした。あとで『なんでFAXなんか毎日送ってくるの?』と聞かれて、その人は『これは○○さん(私の実名)に言われた事です』って言ったらしい…。オイオイ、私なの?その言い方だと、私が首謀者みたいじゃない???…以後、アドバイスしなきゃいけない局面において、私はきわめて慎重になりました。
e-mailに関しては私の方が周囲の人より感覚が古いかもしれません。毎日のようにe-mailで連絡をしていた時代、メーリングリストが交流の中心だった時代、その頃の感覚が残っていますので、『e-mailは、出したいときに出して、読みたい時に読む』というのが基本的な感覚です。昔の、テレホーダイタイムに1日1回確認するもの、っていう習慣が残っています。ケータイでメールをやりとりできる時代になり、便利になったなぁ、と思いましたが、それは『とりあえず確認できる』って事に対してで、若い人みたいに『会話の代わりにメール』って感覚は、ほぼありません。ちなみに、今となってはそんなに「若くない人」でも、ポケベルが普及した頃から『会話の代わりにメール』なんでしょうね…。
そんなこんなで、e-mailに関しては、若い友人たちにとって『返信が遅いオジサン』になっていると思います。いやホント申し訳ない…。
こんなふうに、人によって『すぐに反応があって当たり前のもの』なのかどうか、かなり感覚に差がありまして、これが時によりすれ違いを生む元になっています。何にしろ、『グループの主流に合わせていく』のが一番でしょう。年寄りは若者の感覚に合わせる感じで、若者は年寄りの感覚を理解してやって…ね。
…と、最近、あっちとこっちとそっちで、自分が悪かったり、AさんとBさんのすれ違いを見たり、いろいろと考える事が多いので、書いてみました。
再掲。若い友人諸兄へ。いつもメールの返信遅くてすみません。どうぞ見捨てないでやってください。よろしくです。