はるかぜちゃんの記事についての“熱い気持ち”と“冷めた気持ち”


ほぼツイッターの延長、つぶやきだと思って下さい。脱線あり、勝手な憶測あり。ただ、人を傷つけないように気をつけているつもりです。ここで議論するつもりはありませんが、もし不適切な表現などありましたら、できるだけ優しく、諭して下さい…。


前もって言っておきたいこと。いじめにしろ何にしろ、正解は一つじゃない…ってこと。こと、人の関係の問題については、正解がたった一つ、なんてあり得ないという感覚があります。もしかしてゼロかもしれないけど、そうは思いたくないなぁ。逆に、いじめが100件あれば、たぶん200くらいの正解があるんじゃないかな?答が多すぎて、たどりつける人がいないのかもしれないよねぇ。人生観と同じで、誰でも語れる資格があるけど、誰も語り尽くせる人はいない。いじめに関しても、十人十色の考えがあると思うのです。自分の考えだけが正しいと思うんじゃなく、違う考えにも耳を傾ける大人でありたい、そう思うのです。




昨日の朝日新聞1面に掲載された記事。いじめに関していろいろな著名人がいろいろ書いていく連載記事ですが、今回は子役タレント春名風花さん。この方はネット上でもブログやツイッターで「はるかぜちゃん」として活躍されている方です。

この記事を読んで、私は正直、熱いものがこみ上げてきました。この年齢にして、いじめている側への気遣いすら感じられるメッセージ。ある種、子供ならではの感性、大人が忘れてしまった感覚があります。
おそらく現実の彼女は「いじめられる側」でしょう。ネット上での叩きはもちろん、学校では『テレビに出てるからって調子に乗りやがって…』って感じの、ねたみ、やっかみからのいじめにあう事もあるのではないでしょうか。あまりに目立つ者はうとまれる、それが子供社会だと思うのです。(たぶん、昔も今も。)
もしかすると本音では『いじめっ子ども、お前らが悪い!謝れ!償え!』と思っているかもしれません。それでも彼女は一生懸命「いじめている君」の気持ちを推し量り、ストレートでなく変化球で、柔らかく諭すように語りかけます。「お父さんやお母さんが今の君を見てどう思うのか」…これって、よく大人が使う表現で、一種のすり替えで、ストレートな表現じゃありません。たぶん、いじめっ子はストレートに言うとキレやすい、という事を体験的に知っているのではないでしょうか。だからこその婉曲的表現でしょう。いや、むしろこの部分はいじめっ子の親に向けて書いているのかもしれない、とさえ感じます。


はるかぜちゃんの記事が掲載されたことで、ネット上ではさまざまな反応がありました。中にはひどいものもあります。いや、匿名掲示板においては「叩き」は、残念ながら当然のように発生するわけですが…。このことは、はるかぜちゃん自身も「キモいしねと連日ネットで言われるぼくが」と書いているように、もう既に発生している事で、さらにその上にこの記事を書いたこと、ただ者ではありませんね。


はるかぜちゃんが言われていたこと、自分なりに考えてみました。

  • 子供のくせに

子供だからこそ表現できる世界があると思うのです。大人は、自分自身子供時代を通ってきているから、子供のことをわかっているつもりになっているけど、感覚は年と共に劣化するもの。物忘れもありますが、鈍感になる事が一番です。「最近の若い者は…」って思ったら、良くも悪くも「鈍感さを身につけた大人」じゃないかな。いや、ある程度の鈍感さは必要ですよ、大人ならね。
子供の頃の感覚って、鋭敏すぎるんです。関係ないかも知れませんが、今なら平気で食べられる納豆のにおいがどうしてもガマンできなかったりしますし、あと、注射が痛くてたまらずに泣くというのは、大人になると痛みを我慢できるようになるんじゃなく、痛覚が劣化するから平気になると思うのです。で、こころの感覚も似ている点があるよなぁ…と、体験的に思っています。

  • いじめている側には何を言っても通じないよ

そう思う感覚はよくわかります。でもね、だからこそ、「いろいろ言ってみる」事は必要だと思うのです。数打ちゃ当たる…かもしれない…。不特定多数への呼びかけ、それが比較的簡単にできるのがネット社会。あとはマスコミの責任もあると思います。マスコミもこういう語りかけをもっとやれば良いのに…と思います。

  • 親の愛情に恵まれない子もいるんです

これ…そこまで気を回すのって、小6には無理でしょう。たしかに(仕事で知る機会があるのですが、たいへん残念な事実ですが、)『こういう大人が子供なんか作っちゃダメだろう』という例がたくさんあります。でも、たぶん一般論として「親は子に愛情を注ぐ」ってあると思うのです。その一般論を下敷きにしているわけで、決して的外れではないと思うのです。逆に、あらゆる人の立場を考えて…っていうと、評論などできなくなってしまいます。「こういう事があって、私の立場ではこう思います」で良いんじゃないのかなぁ?

  • 周囲の大人が悪い

これすごく違和感があります。違和感というのは「私はそうは思わないけどなぁ」ってことです。『いじめは大人なんかには解決できないよ』という気持ちが強くあります。「大人」を「学校」や「政治家」にも変えることができます。
これに関して思い出した事が一つ。最近のいじめ事件のニュースの中で、自殺した子と仲の良かった子(という風に字幕に出ていた)へのインタビューがありました。彼曰く『…学校には…本当のことを…言って欲しい…』・・・どうです?私、これ、違和感ありまくりですわ。学校…じゃないだろ?君が本当の事を言わなきゃダメなんだよ。どんなにアンケート結果を隠されたって、君がこのインタビューで語れば良いじゃないか。だいたい子供が学校側のアンケートに全て書くとは、どうしても思えないんだ。君、本当に「仲の良かった子」なのか?本当だったら語ってくれよ。君が黙っているから学校も何もわからないんだし、動き出さないんだし。一番近くで目撃している子供が、まずは語り出す事から始めないと、何も始まらないんじゃないか。
ストレートに書くけど、いじめた奴が一番悪いに決まってるじゃないですか。その原因の原因ってなった時に、周囲の大人が…って事だと思うんですよね。ただいじめた本人はまだ子供なので、そこを言うと言った方が「弱いものいじめ」と見られる風潮があるので、一種の代替行為として「周囲の大人」と言っている人がいるわけで、さらにそれを鵜呑みにしているたくさんの読者や視聴者がいるんですよね。
ここまでひとしきり書いて、前述のインタビューは、そういう意図があっての編集だな、と気づきました。もしかするとこの子はその前後に重大な事を語ってしまったかもしれない、でも「編集方針」、いやもしかしたら「捜査方針」の関係でカットされたのかもしれないな、と。ここまで考えるのは深読みをしようとしすぎかなぁ?

  • いじめられる側にも原因がある

これ、ないとは言いません。でも「原因」っていうと、「それがすべての源」みたいなニュアンスになり、何か違うように思います。個人的には「要素」くらいの言葉の方が良いと思います。私の場合、「中1にもなって、からかわれるとすぐに泣く」というのが要素でしたね、たぶん。


あぁ、脱線のついでに。中1の時にいじめられた思い出(いろんな人に比べるとほんの軽いものですが)を語りましょう。
中学に入ると英語の授業が始まりますよね。英語の発音って難しいじゃないですか。私は「th」でつまづきました。ワン・ツー・スリー…とみんなで声を揃えて発声している時に、先生が私に目を止めて「Stand up please.Repeat it after me.」と来るわけです。で、スリーがうまく言えない私…。先生「はい、舌を噛んで、three.」
私(わけわからず舌を噛みっぱなしで)「すいー」
先生「No,no. 舌を噛んで、three」
私(わけわからず舌を噛みっぱなしで)「すいー」
  しばらくこの繰り返しが続く…
これ、中1男子には拷問ですわ。舌を噛みっぱなしじゃ、thの次のrが発音できないよなー、と思いつつも、繰り返し「舌を噛んで」しか言われないので、「すいー」「すいー」そうこうするうち涙が出て来ちゃった、というわけです。
そしたら休み時間に、違う小学校から来たやんちゃ坊主がやってきて、「おい、すりーって言って見ろよ」「すりー、ってな」とからかうのです。さすがに同じ小学校から来た友人は私の事を知っていたので何もしませんでしたけどね。そんな事が数日続いて、「学校やだなー」と思い始めたのですが…。
外部テストの発表がありました。担任の先生から特別に発表がありました。「○○くん(私の本名)が、県で5番に入りました。拍手!」もちろん学年トップです。当時は頭良かったんですよね。以後、いじめっ子はさっぱり来なくなりました。バツ悪そうだったなぁ。
小中学生の頃は、頭は良いけど体育が苦手な子だったのです。で、劣等感とはどんなものかは知っていましたけど、いじめられる感覚というのはそれとはまた違った、みじめな、自分を否定される感覚なんですよね。


ネット上でもありました。とある匿名掲示板の雑談スレでのこと。固定ハンドルで頻繁に発言するのを気に障ったメンバーがいまして、いろいろ書かれました。「お前はここには来るな」とか、「うざい、消えろ」とか。確かに、空気を読まない発言もありました。元々、パソコン通信から普通の掲示板によるコミュニケーションと経験して来た人間なので、「自分の発言には責任を持つ。そのためにハンドル名を。」っていうのは最低限のルールのつもりでした。匿名が当たり前の方々には、こういうのは目障りみたいです。で、ネット上の言葉の暴力って、実効はないはずなのに、ふと何でもない時に思い出して、ボディブローみたいに、じわじわダメージが来るんですよね。気がつくと、動悸が早くなっていたり、眠りが浅くて目を覚ましてしまったりもしました。それ以前に、ウツで仕事を休んでいる時に気晴らしに見ていたネットで、こんなドジ踏むなよって話ですよね。


…あー、めっちゃ恥ずかしい話、書いてしまいました…。


冷めた気持ち
はるかぜちゃんの文章がうますぎる、大人っぽすぎる、という批判について。そういう面は確かに感じます。これは有能なブレーンがついているのだと思っています。いや、ついてなきゃマズイでしょ。まさかノーチェックでブログやツイッターをやらせるほど、事務所だって保護者だってリスク管理にシロウトじゃないでしょう。そういう点で、「中の人」はいるかもしれない(あくまで「かも」です)、と思っています。ただ、中身はどうあれ、小学6年生の女子が、たった一人で矢面に立つのは必至なわけで、お見事な覚悟がある、と思います。もはやこの覚悟だけで脱帽する思いですわ。
1000歩譲って、はるかぜちゃんの記事をゴーストライターが書いたものだとします。このゴーストライター、すごい、と思います。子供らしい感性を持ちながら、大人の解決案(…までは行かなくても解決への方向性)まで示しています。これが狙って書けたのなら、ホントすごいです。
また、朝日新聞さん。「子供を使って、あざとい」と思う向きもあるでしょうが、とりあえず「ネット上で大いに話題になった」というだけで、大成功でしょう。これ、わざわざ狙って最終回に、しかも1面に持ってきたんだろうなぁ…そんな気がします。連載をまとめた本の売り上げにもうまい事つながるでしょう。でも、くやしくないかなぁ?本業の記者さんが書いた記事じゃなく、子供が書いた(という事になっている)記事がこんなにも話題をさらってしまった事…。
はるかぜちゃんの今後はどうなのかなぁ?この文才、順調に伸びるんだろうか…?子供の頃にすごく感性が豊かでも、大人になるとごくフツーになってしまう事もよくあります。後になって『はるかぜちゃんの文才は小6がピークだったな』とか言われるかもしれません。が、それでも十分。過大な期待はしません。年端もゆかぬ頃から社会の大波にもまれているわけで、それはいろんな事を他の友人よりも早く体験できるメリットもあるでしょうけど、リスクもあるわけで、傷つきすぎて歪んだりしないように、というのが一番の望み。せめて普通の大人になってくれたら、それで良いと思うのです。(あぁ…小6女子に対しての「祖父目線」になっているぞ、自分…www)




余談ですが、こんな事にならないといいなぁ。ちょっとした近未来SF。誰か映画作ってくれないっすか?
もうしばらくすると、過去のいじめに対する「魔女狩り」が始まります。芸能人も政治家も、過去にいじめをした経験を暴露され、つるし上げられ、叩かれます。過去の経歴にびくびくする著名人たち。やがて、どこそこでいじめがあった…という密告社会へ。誰も、冗談も言えなくなって、表面上の平穏さだけを求めるようになる…。
「セクハラ」とか「盗撮」とかも、そうですけど、なんていうか、世間の認知とか許容度について、激しい「揺り戻し」があります。激しすぎるくらいの。で、時代感覚に鈍いオッサン達は、職を失ったり罪に問われたりすることさえあるんです。で例外なく、マスコミってこういう揺り戻しを増幅する方向にしか報道しないんですよね。報道されていない事実って何があるんだろう?っていつも思うのです…。