命の日

今日、9月4日は、個人的に「命の日」と呼んでいる記念の日です。
それは30年以上前の話です…。

長いので隠します。おヒマな方だけお読みください。
高卒で就職して5ヶ月ほどたったある日のこと。初めての職場旅行で信州に行ったのですが、日曜日にそのお土産を親戚の家に届けに行きました。当時はまだ運転免許もありませんでしたので、自転車で行くのですが、1時間ほどかかるA家と、そこから30分ほどかかるB家にも行きます。いつもはA→Bと回るのですが、なぜかこの日に限ってB→Aと回ろうとしました。B家に行ったところまでは憶えていたんですけど…。
いつの間にか、暗いところにいました。身体が動きません。意識ももうろうとしていて、気がつくと傍らに母親がいました。どうやら、車にはねられて、救急車で病院にかつぎこまれた、という事のようでした。気がついたのが何日目だったか憶えていませんが、事故の当日の夜は危篤状態だったそうですので、おそらくその翌日あたりでしょう。以下、あとで聞いた話です。
私は国道を自転車で走っていました。交通量は多く、混んではいるけど流れている、という状態だったようです。後ろから走ってきた居眠り運転の車(1BOX)にはねられ、まず身体がガードレールに激突、向こう側の歩道に倒れ込んだと思われます。目撃者の人が救急車を呼んでくれて、すぐに搬送されました。ところがあいにく日曜日、休日担当の医院が内科・肛門科の病院しかありませんでした。そこでは外傷の応急手当程度しかできず、胸部を強打していて、手に負えない状態だったようです。隣町の大学病院に問い合わせたところ、たまたま当直医が胸部外科の先生でした。そこですぐに運ばれ、そのまま入院した、というわけです。
怪我は、全身打撲、肋骨骨折が6本8カ所*1。胸腔内で出血して「血気胸」という診断でした。その他に右足首付近の骨折がありましたが、これは命にはあまり関わりません。出血が多い方が問題で、保存用の血液を10本輸血したそうです。現在でも肋骨骨折の痕は右胸に残っています。肋骨って、呼吸のたびに動きますので、ギプスで固定できないんですよね。弾性包帯で巻いておくだけですが、でも肋骨は骨の中ではくっつくのが早い方なんだそうです。なので、きれいにはつながりませんが、比較的早く治る部分なのです。そんなわけで、未だに私の右胸は「ふぞろいの肋骨たち」になっています。
命が危なかったのは最初のうちだけでした。出血多量を乗り切った後、救急病室から個室に移りました。もう生命の危険はないよ、と主治医の先生に言われたような記憶があります。噂ですが、この個室、私の前には先代の引田天功が入っていたそうです。本当かどうかわかりませんが。でも彼が亡くなったのは心筋梗塞で、私が入院していたのは胸部外科ですから、一応の関連性はあります。
最初のうちは寝たきりで、食事は点滴、トイレは尿道カテーテルにつながれていました。(入れられる時は痛いのでしょうけど、意識がなかったですからわかりません。)胸部レントゲンを撮るために、初めてベッドの上に上半身を起こした時は、強烈な目眩に襲われました。寝ているのが常態になってるところに急に頭を起こしたので、脳貧血のような状態になったのです。あれはつらかったなぁ。たぶん、宇宙に長いこと暮らして地球に帰ってきたら、あんな状態になるんじゃないのかなぁ。
病気ではなく怪我でしたので、治り始めるとどんどん良くなっていきました。当時18歳ですから、若いという事も大きかったですね。食事は、重湯、五分がゆ、七分がゆ、と、どんどん普通食に近づいて行きます。肋骨と足首の骨折もくっついてきて、そのうち起きあがれるようになりました。するとトイレは、しびんなどを使うようになります。食事もとるわけですので、大の方もお願いして処理してもらうわけです。そんな状態でしたので、ベッドから下りて一人でトイレに行けるようになった時はうれしかったですね。一人前の人間に戻った、そんな感じがしました。
足のギプスが取れると、歩行器を使ってリハビリテーション、歩行訓練を始めました。この頃ようやく同じフロアの患者さんたちと会うことができました。「あそこの個室にはどんな人が入っているんだろう?」と興味津々だったみたいです。まぁ入院患者さんにとっては毎日が退屈なので、そんな話もでるんでしょうね。同じフロアには、胸部外科ですので、心臓に病をかかえた老若男女の患者さんたちがいました。お年寄りはもちろんですが、心房や心室の中隔欠損で入院している小学生の子供たちもいましたね。あー、そういえばみんなどうしてるかなぁ?ちゃんと大人になったかなぁ?
間もなく個室から一般病室に移りました。6人部屋の入り口側でした。あの頃は若かったなぁ。隣の女子部屋に若い子もいて、消灯時間後も遊んでいて、婦長さんに怒られたりしましたっけ。あの子らもみんな元気になって嫁に行ったかなぁ?
入院は108日間、約3ヶ月半でした。この間、流行っていた物…。テレビドラマでは「ルーツ」というアメリカの長時間のドラマ*2がありました。病室で聞いていた流行歌は、キャンディーズ「アンドゥトロワ」*3、ピンクレディ「ウォンテッド」、沢田研二勝手にしやがれ*4松崎しげる愛のメモリー」、太田裕美「9月の雨」、山口百恵秋桜」、さだまさし「雨やどり」、河島英五酒と泪と男と女」、狩人「あずさ2号」、岩崎宏美「思秋期」、アリス「冬の稲妻」…いやぁ、懐かしいなぁ。
この入院生活、自分にとってはたいへん勉強になりました。人並に健康体でいると気がつかないんですけど、入院してみるとわかるんです。病気の人ってたくさんいるんだなぁ、って。逆に、良くなってきて外出で街に行ったときは、健康な人ってたくさんいるんだなぁ、と思いました。うん、人って、立ち位置によって世界の感じ方とか「常識」とか言ったものは、ずいぶん変わってくるものだなぁ、って思いましたね。それからかな、異なった意見の人の意見を、この人はどんな環境にいてどんな経験をしてこの意見を持つに至ったのかな、と考えてから分析するようになりました。あっ、代わりに自分の意見を言うのはすっかり不得意になってしまいましたけどね。いや、生来の軟弱ものなのかな?


そんなわけで、今日、9月4日は「命の日」。一つ間違えれば「命日」となったかもしれない日で、自分にとっては、命のありがたさについて考える日、なのです。

こんなふうに、命の大切さは身に浸みているはずなんですが、それでも最近はヤバい状況です。何がっていうと、私の心の中の鬱が「死にたい」と囁くことがあるんです。理性では自殺は絶対ダメと、思ってはいるんですけど、ウツってヤツはどこからか希死念慮を運んでくるんですよね。困ったもんだ…。とりあえずは「来月のコンサート」を目標にして、死なないように、生き続けるように、気をつけています。
ついでに愚痴っちゃいますけど、今日は危なかったです。℃-uteから残暑見舞いは来ないし、Buono!イベント当たらないし…いやそれは良いんですけど、週末の夕方だっていうのにクレーマーから電話がかかってきて一気にうつになりそうでした。いや、実はうつに入りきっているんですけど、理性が必死にこらえているのがわかります。いろんな元気のバロメーターが全部ゼロからマイナスに振り切っています。こんな時は酒飲んで寝ちゃおう、と思ったのですが、こうしてブログに書いて憂さ晴らしをしています。いや、これ、自分自身への生存証明なんですよね。そう言う側面があるので、つまんなくても毎日何かしら書いていきたい、と思っています。これからも、よろしくお願いします。

*1:肋骨は13対あります

*2:黒人奴隷を真っ向から扱ったドラマで、当時大いに話題になりました。今wikiで調べたら、最初の主人公クンタ・キンテの吹き替えの声は池田秀一でした!

*3:この1曲前のシングルが「暑中お見舞い申し上げます」でした。

*4:レコード大賞受賞曲です。