昨日のこと

昨日は「1行更新」だったんですが、その昨日のことについて書きます。


テンション下がると思いますので、隠します。


凹んでました。どうもならない理由で。


二つの訃報があったのです。


昼休みに、新聞の地元版の「おくやみ欄」を読んでいた同僚が見つけました。「これ、○○のおじちゃんじゃない?」
○○っていうのは、良く出前を頼んでいた食堂の名前です。つい2週間ほど前、出前を持ってきたおじちゃんが『健康上の理由で、近々、店をやめます』って言っていたんです。残念だなぁ、あそこのチャーハン、\600だけど美味かったんだよなぁ。焼き魚定食\800も好きだったなぁ。その時はそんな事しか考えませんでした。
「おくやみ欄」には確かに、「△山□男(仮名) 食堂○○店主」って出ていました。あぁ、間違いなくあのおじちゃんだ。ついこの間まで元気そうに出前に来ていたのに…いや、違うか、ぎりぎりまでがんばって元気に見せて仕事していたんだろうなぁ…。そう思うとなんだか涙ぐんで来ちゃいました。同僚が言いました。「でも、今まで名前も知らなかったよねぇ」と。


夕方、隣の部署にかかってきた電話が妙に長かったのです。しばらくしてその部署のチーフがやってきて、「××さんの奥さんから電話だったんだけど…」××さんとは、最近、病気のため長期休暇に入った人です。病状の報告かと思いましたが、「さっき…亡くなったんだって。」これは驚きました。去年の後半、やっぱり体調が悪くて休んでいましたけど、今年に入ってからはずっと出てきていました。半月前はクラシックギターの発表会に出ていたくらいです。それが急に…。いや、どうやら××さんもギリギリまで無理していたようなんです。話を聞くと、ガンで、転移していたらしいです。50代後半、あと数年勤め上げれば定年、という××さんでした。


そんなわけで、自分にはどうもならない理由で凹んでいます。


気を紛らわそうと、飲みながら、録画したNFLの試合を見ていたのですけど、頭に入っていない…ほとんど憶えていないです。そのうちごろ寝してしまい、「ベリキュー」見逃してしまった、というわけなんです。


まぁ、私がくよくよしたって何ができるわけでもないんです。せめて「生きている事を楽しもう」とでも思わないとやってられません。そう、生きているうちは生き続けないといけません。でもね、正直に言うけど、頭ではそう思っていても、時折、死のイメージ、自殺のイメージが想起されてしまうんですよね。これ、鬱の患者ではよくある事なんです。
最近、感じることなんですけど、自転車みたいに走り続けていないと倒れてしまう、そういう気がします。何か楽しい事を見つけて、それに向かって走っていないとね。その一つがベリキューであり、酒であったりするんですよね。数ヶ月先のコンサートの予定、半年先の樽の中身、そんなふうに楽しみを作って、目の前にニンジンをぶら下げた馬みたいに、何かを見て走り続ける。それが、生き続ける手段になっている、「生きるという力」になっている、そんな気がする今日この頃なのです。